第二話 ネットビジネスへ挑戦!そして会社を退職へ
そのある世界が、今やっているネットビジネスの世界でした。
僕はそれまで、携帯電話でネットサーフィンぐらいは
利用したことはありましたが、
それらを職業として、生業としている世界があることを
はじめて知りました。
とりあえず、パソコンを持っていなかったので、
パソコンを買って、インターネット回線をつなぎ、
ヤフオクやmixiを利用して、使わなくなった自動車パーツや不用品を売りました。
ちょっとレアなパーツも家に眠っていたので、
それを売ったところ、
意外と高めに売れたので感動しました。
「おおお、これはすごい」
初めて夜の峠に言ったときのような衝撃が走りました。
もし、この不用品販売で稼げれば、
・仕事終わりでもできる
・相手から感謝される
・税金も自分で納めるので会社にバレない
・会社の人に見られることなく副業ができる
など、良いこと尽くしでした。
しかし、その時の僕はビジネスと捉えておらず、
“仕入れ作業“をしていなかったので
次第に売るものがなくなり、
行き詰ってしまいました。
うーん。どうしよう。
そんな時、またまた迷惑メール(笑)で
“あるマニュアル”と出会ったのです。
情報商材(情報教材)との出会い
「ヤフオクで月収100万円」
「俺と同じとおりにやれば年収1000万円」
という内容の迷惑メールが届き、
見るからに怪しげなうたい文句にもかかわらず、
またもや怪しまずにクリック!笑
メールを送ってきた人が作っていたと思われる
転売系の情報商材(情報教材)を購入しました。
その情報商材をみたところ、
ヤフオクで転売して稼ぐためのノウハウが書かれていて、
売り方や出品文の書き方などを真似て、その通りに取り組んでいきました。
いざ、実践してみたものの、全く稼げませんでした。
あとで分かったのですが、
その情報商材は、ほとんど中身が薄く、
数千円稼げれば良いほうというノウハウだったのと、
少し機転を効かせなければ稼げないような内容でした。
その後、色々な情報商材に取り組みましたが一向に稼げず・・
さらに、転売系の塾に期待を込めて参加しましたが、
質問しても返信が遅かったり、
塾の講師のサポートがいい加減で、
痛い目を見ました。
結局、3ヶ月間でマイナス10万円という結果を残し、
塾の指導期間が終了。
講師たちともさっぱり連絡が途絶え、
この先どうすればいいんだよという不安と借金だけが残りました。
僕は工場の仕事もまともにできないのにネットビジネスまでダメなんて・・
やっぱり、東大や早稲田とか有名な大学を卒業していたり、
もともと自頭が良い人だけがネットビジネスで成功できるのか・・
ネットビジネスで稼げる人はセンスがないとだめなんだ・・
など、ネガティブなことばかり考えるようになっていました。
でも、借金があるし、ここで諦めたら終わりだ。
諦めちゃだめだ。
借金を返済して、楽しかった日々を取り戻したい、
またスポーツカーに乗りたい。
そんな想いをバネにし、
諦めないでネットビジネスで稼ぐ事を決意しました。
その後、ネットサーフィンをしていた時に、
僕と同じような苦い経験をしているにもかかわらず、
それを乗り越えて、ネットビジネスで稼いでいる人を見つけたのです。
その人がブログに書いていることは共感できることばかりで、
僕との世界観が近いなと感じ、
「この人から、もっと話を聞いてみたい」
と思いました。
それまで、ネットビジネスで稼いでいる人に個別でメールを送るのは
人見知りの性格もあり、緊張してなかなかメールを送れなかったのですが、
勇気を振り絞って、今の現状を伝えました。
稼いでいる人に直接メールを送るのは初めてだったので、
何を言われるかビクビクしていましたが、
返ってきた返事は、「大変だったんですね。でももう大丈夫ですよ。」
という言葉でした。
その言葉通り、親切に色々とアドバイスを下さり、
そのアドバイスを元に情報商材へ取り組んだところ、
少しずつ結果が出始めました。
それからしばらく時間はかかりましたが、
ついに月収10万円を達成!
その勢いで月収20万、30万と稼げるようになり、
本業の給料を超えるようになりました。
人間死ぬ気になればなんでもできるんだなと思った瞬間でした。
このとき僕は、ネットビジネスにもっと時間を使えば、
もっと稼げると考えるんじゃないか?と思い、
工場で働く時間がもったいないと判断し、
勇気を出して会社に退職届を出したのでした。
第三話 ネットビジネスで独立へ ネットビジネスを副業から本業へ
に続きます。
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