第一話 ネットビジネスは稼げるのか?ネットビジネスとの出会い

 

 

こちらでは、全3回に渡って、

僕がネットビジネスで稼げなかった頃の話や、

会社員を辞めて独立した話など、

過去の話を書いていこうと思います。

 

北関東の某田舎で誕生。

祖父母、両親、兄弟含めて8人という結構な大家族だったため、

生活にも余裕が無く、洋服は全ておさがりという生活。

 

いわゆる貧しい家庭でした。

もちろんお小遣いやお年玉をもらった記憶もありません。

 

ちなみに僕は小さいときから、

超がつくほどの人見知りで、

学校の発表会などで皆の前に立てば、

声がうまく出ないあがり症、

顔が真っ赤になる赤面症が出てしまい、

本当に人前に出るのが嫌でした。

 

また、自分の意見を言うのが苦手で、

勉強もダメというダメダメな性格でした。
こんな性格だったので、

学校の机の中に「〇ね」という紙が入っていたりと、

いじめらることもありました。

もちろん、友達も少なかったです。

 

勉強や運動も全くできなかったので、

地元の中学に行き、

筆記試験で名前を書けば入れるような商業高校へ入学し、

特殊な技術や資格を身につけることなく、

ごくごく平凡に高校を卒業しました。

 

いじめられた経験から、

知っている人とすれ違うのは嫌だったので、

高校卒業すぐに僕のことを知っている人がいない町へ引越し、

特に勉強したいことや、やりたいこともなかったので、

大学へ行かず、町にあった小さい工場へ就職しました。

 

 

ブラック企業と新たな出会い

この入社した会社がとんでもない会社で、

入社前には聞いていなかった夜勤があったり、

求人票には書いてある給料よりも安い給料で、

昇給は良くても1000円だったり、

実は、サービス残業が当たり前だったりと、

とんでもない仕打ちを受けました。

 

また、面接のときはニコニコしていた人や、

入社1ヶ月目はやさしかった先輩が

仕事でミスした僕のことを怒鳴るわ蹴るわ、

それはもうここにかけないぐらいひどかったです。笑

 

しかし、このときの僕は

世間知らずのウブな高卒だったので、

「これが社会の洗礼なんだ。みんなこれを乗り越えているんだ。」

「上司や先輩の愛のムチなのかもしれない。」

「ここで逃げたらどこの会社でもやっていけない」

「会社を辞めたらレールから外れる。フリーターになったらおしまいだ」

日本教育の悪い部分が働き、

退職、転職を踏みとどまり、

ストレスをためて血尿を出しながらも、

そのまま会社で働くことにしました。汗

 

僕自身、言われたこともきちんとできない人間だったので、

怒られても仕方ないなぁと考える自分もいました。

 

でも、こんなどうしようもない僕でも、

勇気を振り絞って

「先輩、もっとこうしたら残業も減るんじゃないですか?」

と話したときもありました。

すると、「残業が無くなったら、お金が稼げないだろ!

と一方的に理不尽に怒られてしまいました。

 

残業を減らせば、企業にとっても

社員にとっても有益だと考えていたのですが、

普通の会社員は、残業でしか給料を増やせないので、

残業削減となれば収入が減ってしまうので

一大事というわけでした。

 

それ以来、上司や先輩に対しては、

何を言っても変わらないと思い、

仕事に関しては、一切意見を言わないようになりました。

 

このときぐらいから、

「結局、他人は変わらないから自分を変えるしかない」

という考えを持つようになりました。

 

慣れない夜勤の疲れを回復されるために、

土日はほとんど寝ていましたから、

外出もせず、引きこもっていることが多かったです。

今思えば、うつ病一歩手前ぐらいの状態だったと思います。

 

こうして、

平日は工場へ行って仕事をして、

帰って寝て、また仕事へ行き、

土日は、まとめブログを読んで、

ツタヤでDVDを借りて家で見て、

また月曜を迎える という、

どうしようもない日々を繰り返していました。

 

しかし、あるとき、僕に転機がきました。

それは車の趣味です。
ツタヤでたまたま借りたアニメ「頭文字D」や

洋画「ワイルドスピード」を見て、

まんまとスポーツカーの世界にはまっていきました。

 

早速、ドリフトをやってみたいと思い、

ローンを組んで日産の180sxという車を購入し、

夜の峠へ通うようになりました。

 

 

初めていった峠では、昼の峠と一味違いました。

細い道路に順番待ちのスポーツカーたち、

対向車が来ないように見張る棒フリ、

思い思いに車の話をするギャラリー、

そして、峠に響くスキール音と焦げたタイヤのにおい。

 

まるで峠だけ時間が止まったかのように、

そこでは昭和や平成初期の車が活き活きとしていました。
何もかもがはじめての世界だった僕にとって

衝撃の連続でした。

 

頻繁に峠へ出向きギャラリーをしていたところ、

「これ君の180sx?」とある人が話しかけてきて、

そこから、その人からドリフトを教えてもらったり、

他の車仲間を紹介してもらい世界が広がりました。

ついに僕にも友達(仲間)ができたのです。

 

休日にサーキットへ一緒に行ったり、

県外の峠へ出向き、別チームと交流戦をしたり、

シルビアに乗っている可愛い女の子と連絡先を交換できたりと、

仕事の疲れも吹っ飛ぶくらいに楽しい時間を送り、

怖いぐらいに幸せな充実した日々を送っていました。

 

 

車という趣味のおかげで人生が楽しいものになり、

ずっと好きな車と好きな仲間と一緒にいて

このまま時間が止まってしまえばいいなぁ

なんて思っていました。

 

車を維持するために、お金をもっと稼がなきゃ

という気持ちが芽生えてきた時期です。

 

 

まさかのどんでん返し

あるとき、夜勤明けの土曜日に180sxで町を走っていたところ、

まさかの居眠り事故。

街路樹にぶつかって

車もまともに乗れないぐらいに壊れ、

残ったのは、180sxのローンと

街路樹の支払い代金。

(意外と街路樹って高いです。)

 

対物に対する保険に加入していなかった僕は、

一気に100万円以上のローンを抱えることになりました。

 

さすがに100万円ものローンは

安い給料の僕にはすぐに返せるものではなかったので、

食費や交際費など

あらゆるものを削りました。

 

車もお金も無かった僕は、

車仲間とも自然に距離をおくようになりました。

 

こんなに追い込まれたときでも僕は、

「一箇所の職場で我慢して仕事するのが良いこと」

「同じ企業で定年までいれば安泰」

という、高度成長期の世代に生まれた親や先生に

教えてもらったことを思い出し、

転職してもっと給料の良い会社へ行こうという

考えすら頭に浮かびませんでした。

 

いずれにせよ、

資格や特殊な技術を持っていない僕は、

再就職は難しかっただろうと思います。

 

 

会社では副業禁止でしたが、副業をしてお金を稼ごうと決意。

しかし、コンビニのアルバイトや新聞配達では、

税金の関係でばれてしまうし、会社の人に見られたらどうしよう・・

 

そんなときに迷惑メールフォルダにたまたま届いた

バイナリーオプション」に関するメールを開き、

投資の世界へ足を踏み入れることに。

 

怪しむということを知らない世間知らずの僕は、

ハイか、ローかを当てれば、

すぐにお金が稼げるということを知り、

「これならおれでもできる簡単だ!」と思い、早速やってみることに。

まぁ、皆さんの予想通り、

あれよあれよと熱くなってしまった僕は、

最終的に借金が300万円以上に・・

 

クレジットカードの明細や通帳を見て、

終わった・・

そう思いました。

 

そんな絶望に明け暮れていたとき、

ネットサーフィンをしていたところ、

「ある世界」を知ることになったのです。

 

 

第二話 ネットビジネスへの挑戦!そして会社を退職へ

に続きます。


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